Visions session vol.4 松村佳依さん 講演レポート(前編)

―まず、自己紹介をお願いいたします。

ハモンという団体で、大切な人へ写真展という空間自体をプレゼントする、「おくりもの写真展」というサービスを行なっています。団体や会社の立ち上げは実は2回目で、1社目では結婚式のプロデュースなどを行なっていました。

去年の1月に出産して、息子が1歳になったところなのですが、息子が本当に可愛すぎて(笑)、息子との時間が一番幸せ!という感じの人生を送っています。

今日は、知りたいこと、聞きたいことについてみなさんからいただいたアンケートをもとに、「志の見つけ方」を中心にしながら、起業や私の事業について、女性としての働き方、私の失敗についてもお話ししていきたいと思います。

 

 

頑張れば成果が出ることが嬉しかった、学生時代。

 

まず、私のこれまでの人生についてシェアさせていただきたいと思います。

私は小学校3年生くらいから大学生まで10年以上、ずっとテニスをやっていました。もともと運動神経は全然良くないタイプなんです。50m走は、どう頑張っても9秒台後半。自分はセンスないんだなと思っていました。母がテニスをしていたので、自分もなんとなくテニスを始めて。中学校に入って部活に入ったのですが、それが転機で、誰よりも真っ黒になるくらい、夏休みは毎日毎日練習していました。上手くなりたいというより、単純にテニスが楽しかったんです。

そうしたら、ある試合でたまたま県大会に出られたんです。インターハイに出るような強豪校の人がうようよしている大会に出られることになって、「自分、頑張ったな」と思ったのですが、そこから何かコツを掴んだように県大会の常連になりました。兵庫県のベスト選手に名前が載ったり、強化選手としてダンロップさんとスポンサー契約をさせてもらったり。このテニスの経験で、「何か一つのことに打ち込んでいたら、結果って出るんだな」ということを学びました。

 

テニスは高校3年生の夏まで続けて、そこでバッサリ辞めて受験勉強に入ったのですが、それも楽しかったんです。勉強の内容が楽しいというよりは、努力したら結果が出ることが、テニスと一緒だ!と感じて。何か一つのことに打ち込んで頑張ってやっていたら、点数って上がるんだとか、合格判定がCからB、BからAになるんだ、という手応えが得られる。それが、勉強ってわかりやすく出ますよね。答えがあるし、点数評価されるから。なので、受験勉強が苦痛だとは感じず、とても楽しくやっていました。

受験に合格し、東京工業大学という理系の単科大学に進学して、都市計画を専攻しました。そこで、挫折をします。努力する対象を失ったから、何をして毎日過ごしていいかわからなくて、なんとなく過ぎていく毎日が嫌になって。受験に合格するとか、県大会に出場する、といった大きなものがなくて。授業もなんのために受けるんだろう、みたいな。そういう燃え尽きた感じで、大学に入って目的がなくなってしまって。勉強に対して全然モチベーションがなくて、週に1回大学に行くかどうか、というような不真面目な生徒になってしまいました。本当に大学にいなくて、よく教授に呼び出されたりとか、行ったら友達にからかわれたりとかしていました。

ここから1年間ぐらいはずっと、つまんないなぁという日々を過ごしていて。東京に進学したので友達もいなくて寂しいし、周りは一生懸命勉強しているけれど自分は勉強に打ち込めなくて、毎日がなんとなく過ぎていく、みたいな感じで。つまんないなあと思っていた時にやっと見つかったのが、アルバイトです。

サルバトーレという全国チェーンのイタリアンレストランで、ホールスタッフをしていました。仕事内容は普通の接客バイトなのですが、ここに良い出会いがあって。このお店の店長が、接客やサービスのプロフェッショナルだったんです。どういう風に食事をサーブするか、オーダーを聞きにいくタイミングがどうか、お客様がいらして、最後帰っていくまでの間にどうやって気持ち良い時間を過ごしていただくか、というのを徹底的に叩き込まれます。熱血な店長だったので、アルバイトにも時給の申告制度があって。時給1000円からスタートして、昇給の時にバイト自身が「私は時給1050円になりたいです。なぜなら私はこういうことができて、こういう成果が出せて、こういうスキルが身についたから」というのを申請します。それが社員の会議にかけられて、「この人は1000円のままか、1050円の価値があるか?」というのが審議され、結果が理由とともに全従業員の前に貼り出されるんです。なかなかそんなバイトないと思うんですが、それぐらいとっても熱血な仕組みが整ったアルバイトで、接客が好きというわけではなくて、その仕組みが自分に合っているな、と。テニスの体育会系の、結果を出す!上に行く!というところで育ってきたので、このアルバイトは非常に打ち込みました。結果、大学卒業までここで働いていたのですが、学生時代は本当にバイトだけしていた感じです。

それ以外に、理系なので研究室もあるのですが、ある日研究室に行ったら、珍しすぎて笑われたんです。教授にも、「ちょっと松村来なさい」と呼ばれたり。結果、プラス2単位、ギリギリで卒業しました。それぐらい問題児で、研究に何の目的があるのか、これを頑張った先に何があるのかを見出せず、見出せないものについて何もモチベーションが湧かず、自分を律せない人でした。そんな自分が嫌だったんですが。学生の時の研究室仲間は、今でも私のことを怠け者、サボり屋さんだと思っていると思います。それくらい研究室には行けていませんでした。

 

 

人とのつながりの価値を知った、オーストラリアでの生活。

アルバイト以外にも、もう一つ学生時代に大きなことがあって。オーストラリアのエアーズロックで、環境保護のボランティアに参加しました。世界各国から集まったメンバーがいて、外来種を減らすための活動をしたり。エアーズロック以外にもオーストラリアを転々として環境保護活動に参加していました。

―参加しようと思ったきっかけは何でしたか?

変わったことをしたかったんです。バイトしかしていなかったので、焦ったというのもあります。理系の単科大学で、周りは勉強ばかりしていて、一方自分は接客しかしていない。その後に就活があったんですが、就活って、大学を超えていろんな人に出会うじゃないですか。すごい人がいっぱいいるな、と焦って、就活の後になんかしないといけないな、と思ったんです。

でも、何かユニークなことがしたいなと思いました。アメリカやカナダに普通に語学留学に行く友人もいたのですが、帰ってきた後の彼らに特に変化がなさそうだなと感じて。そうではなく、どこかに行くなら変わったことをしたいな、と。

なので、当時はボランティアしたいとか、環境保護をしたい、オーストラリアがいい、というよりは、変わったことをしたい!と思って、ここに行き着いた形です。

環境保護の活動以外に、メンバーとの生活スタイルもとってもユニークで。自給自足の生活をしていました。もう、本当に自分で、電気もガスも水道もない状態の中で生活して。夜はこのメンバーで料理をして、お風呂に入って寝る。昼間は働く、という共同生活をしていました。

スマホや時計など電気製品がないので、朝起こされる方法がとてもユニークで、法螺貝で目覚めていたんです。チームリーダーが、テントから50mくらい離れたところから吹いて、起こされていました。テントの中でも寝袋で寝ていました。

また、お風呂はどうやって入るかというと、水道もないので、道端にポリバケツを置いて雨水をためるんです。それを釜に入れて、火をつけて温めて、それをタンクに移す。地道に移して、満タンになったら木にロープをかけて引っ張り、自分の高さより上にカゴが上がったら、重力で水が穴からポタポタと落ちてきて、やっとシャワーを浴びられる。めちゃくちゃアナログなスタイルでした。

他にも、オーストラリアは自然がとても豊かで動物がたくさんいるのですが、野生のカンガルーがテントをガシガシしてきたりとか。こんなことってありえないのですが、私たちが究極的に自然と共生しているので、カンガルーも慣れていて一緒に暮らしているような感じで、自然に死んだカンガルーの死骸が周りにたくさんあるような状態で生活していました。それが普通なんです。

当時はとても不便で、スマホがないので家族や友人とも連絡を取れないし、寂しいし、生活も不便で何をするにも一苦労かかる。衛生面も悪いし、食事もいつもと全然違うという状態だったのですが、さらに私は一つ大事なものを持っていなくて。

それが、英語です。私は英語が全然喋れません。コミュニケーションをとる手段すら不自由で、かなりストレスフルな生活をしていました。メンバーはみんな英語が母国語だったので、思っていることの3割ぐらいしか意思疎通できない、というような状態でした。

他の誰かと連絡を取ることもできない、生活は不便だ、コミュニケーションもろくにとれない。でも、ここでの生活がめちゃくちゃ幸せで。それは、チームメンバーがとてもあたたかい人たちだったからです。みんながゆっくりゆっくり話してくれて、その中で「あなたの笑顔って素敵ね」「一生仲間でいような」と言ってくれるような、そんなあたたかさがあって。一見ストレスフルなのですが、心はめちゃくちゃ幸せで、体調も良くて、全然寂しくない、むしろめちゃくちゃハッピー。こんな幸せな生活があるんだ!というような経験でした。

 

 

仕事への違和感に気づいた、社会人3年目。

社会人になって、私は新卒でリクルートという会社に入社しました。わりと実力社会で、オラオラ系の人が多く、自分でビジョンを描いて、大きな仕事を取ってくる!といった社風があるのですが、お話したように、努力して成果がでる環境が好きだったので、その社風に惹かれたのが入社動機です。

入社後どの事業部に行きたいのか、という面談で、やりたいことが特に見つからなかったので、「一番実力主義の部署に入れてください」と言ったことを鮮明に覚えています。なので、私がみなさんと同じくらいの年齢の時は、やりたいことや志は特になく、面接で困るタイプでした。自社の志望動機は?と聞かれても、ないわそんなん、と思いながら頑張って取り繕っているような学生で。社風というところで、リクルート以外にもスタートアップやベンチャーの会社を回っていました。

入社してからは、法人営業の部署に配属されて、企業に対してリクナビに掲載しませんか?御社の選考にSPIを導入しませんか?という提案をしていました。

リクルートでは3年間働いたのですが、社風が思った通りで。自分が一生懸命仕事に打ち込んで、成果を出したらそれに対する評価制度があるし、給与も上がるし、表彰もされる。基本的に要望は満たされて、楽しかったです。もともとのイメージとの違和感もなくて、楽しいなと思いながら働いていたのですが、3年目のある日、違和感を感じました。

同期と飲みに行った時に、彼らがみんな仕事が好きで仕事の話をしている中、私は「飲み会の時くらい仕事の話をするのやめない?」と言ったんです。この自分の発言に違和感を感じて、私はこの仕事を好きではないのだなと思うようになりました。仕事を好きならば、飲み会でも話して、意見を交換して、

それが自分の知見になって、ますます仕事もうまくいって、というのが楽しいはずですが、私はそうではなかったんです。

今この仕事を好きじゃないのはなぜだろう?もともと、努力した分結果が出る、という社風については自分の要望が満たされていたので、もしかして自分は、やりたいことに少しこだわりが出てきたのかなと、思うようになりました。

それがなんだろうと考えるようになり、数ヶ月かかったのですが、1つのことに気づきました。

 

 

志のタネに出会い、起業という選択へ。

「もっと深く心から人を喜ばせたい」と思うようになったんです。企業の人事の所に行って、一生懸命リクナビを提案するのですが、人事の方にとってそれは入り口でしかない。彼らにはその先に大事なものがあって、それは「新卒で採用した学生の入社後の活躍、ひいては会社の発展」。そこまでがミッションで、それが叶うと彼らは嬉しい。でも、自分はその入り口の入り口である採用広告しか提供できていない。リクナビを売っている限りそうだな、と思って。私、人事の方を喜ばせていないな、1箇所の要望は満たしているけれど、めちゃくちゃ頑張って提案を考えている割には、お客様が大喜びしていないなと。それで違和感を感じ始めて、じゃあどうしたらいいのかな?と思った時に、「お客様が大喜びしてくれたら、私はすごく嬉しいな」と思うようになったんです。

「松村さんのおかげで、この子が採用できて、社内の雰囲気がめっちゃよくなったんです、それが自分の功績になって…。これ全部、松村さんのおかげです!」とか。あるいは、単純に、目の前で泣くほど喜んでほしい、とか。

でも、実際は「あ、リクナビですね。今年もよろしくお願いします」といった感じで。「あ、私、この仕事変えたい」と思うようになりました。

社会人3年目で初めて、志を持つようになったんです。

そこで、もう一つ大きな出来事がありました。リクルートの同期で一番仲がよかった女の子がいて、その子が1年半で退職して起業していたんです。私、起業すると聞いた時に、「まじか」と思っていました。「そんなしんどいことよくやるな、大丈夫かな」って。だって、全責任が自分のものになって、会社が潰れるリスクもあって、でも成功する会社は5%あるかどうかだし、ていうかそもそもめっちゃしんどくない?って。給料も安定しないし、人を雇ったらその人の人生も背負うことになる。しかも女性で、これから結婚したり出産したりするだろうし。他にも起業している人がポツポツいて、「すごいな、よくやるな」と思っていました。

でも、その子が、起業した後にめっちゃイキイキしていたんです。自分の意志でなんでもできるし、うまくいかないこともたくさんあるけれど、とっても楽しい!と言っていて、私にとって目からウロコだったんです。

起業=めっちゃしんどいもの、というのは一つの捉え方で、この子はめっちゃ楽しいんだ、と。それで、「起業もたのしそう」という意志が生まれました。

起業が一番いい、というわけではなく、転職でも、社内の部署異動でもいいな、その中の選択肢の1つとして起業もいいな、と思っていました。

その頃に、起業したいと言っている方とのご縁があり、やりたいことが似ていることから意気投合して、会社をスタートすることになりました。

 

 

ツテを頼り、がむしゃらに働く日々。

起業するにあたって、事業内容何にしよう、どんなサービスをやろう、と考えていた時に思い出したのが、オーストラリアでのボランティアのことでした。この時に私が何を感じていのは、すごく不便でストレスフルな、コミュニケーションすら取れない生活の中でも、人とのつながりがあったらこんなに幸せなんだな、ということ。自分がこれだけ幸せを感じるのならば、同様に他人にも、「人とのつながり」を感じられるサービスを提供したい。オーストラリアでの経験が基軸になって、そういうサービスをすることになりました。

ただ、起業した最初は仕事もないし売上もないし、そもそもどうやって会社を作るのかもわからない。人に聞いたりネットで調べたりして、手探りでやっていきました。

最初の方にやったのが「社長から社員2300名に贈る、手作りのおくりもの」。料理教室の社長と仲が良いのですが、「会社が30周年のタイミングで普段頑張ってくれている社員に何かをしたいが、何をやったらいいかわからない」とおっしゃっていて。じゃあ、私にやらせてください!と言って、それが仕事になりました。

料理を教えることを生業としている会社なので、社長自らで料理したものを社員にプレゼントしたらどうですか?という提案をしました。2300名分のパスタを手作りして、ラッピングして、「社長が作りました!」と伝えたら、社員もびっくりですよね。ラベルには「いつもありがとう」と社長が直筆で書いていて、出張の合間に空港や夜中に書いている姿を映像化して。そうしたら、社員が大喜びして、「わー、ありがとうございます!!」と。

社員と社長、という会社の中の人と人とのつながりをつくることを提案したんです。高利率ではなく、非効率なビジネスで原価を引くと、ほとんど手元にお金は残らないんですが、こういうことでもいいからと最初は必死に仕事をつくっていました。

他にも、LGBTの方の結婚式の映像を制作させてもらったりしました。これも Web上で問い合わせをいただいたというよりは、ご紹介によって生まれたお仕事です。

あとは、これも知り合い伝いなのですが、旅行会社さんが「ニュージーランドが良い国なのになかなか旅行客が増えないよね」とおっしゃっていて、いろんな人が旅行してくれるために良い取り組みないですか?と言われて、いくつか提案しました。

それが、「星に名前をつける旅」という、世界有数の星空スポットに家族やカップルで旅行してもらいましょう!というプランです。彼女と一緒に行って、「あれ、君の名前の星なんだよ」とか(笑)。ちゃんと証明書もあって、オーストラリアの天文台に名前が刻まれるんです。それが実は2〜3万円でできるので、プランに組み込んだら話題になりますよ!と提案したら、すごく気に入られて、なんと販売独占権を得ようと動くくらい興奮してやってくれました。

 

―起業当時の人脈はどうやって築いていかれたのですか?

単純にいろんな人に、「紹介してください!」と言っていました。いろんな知り合いに、こんなことをやりたいけれど、ここに困っていて、どうしよう?と相談して、アドバイスをもらったり紹介をお願いしていました。もちろんそれだけに頼っていてはいけませんが、とにかく最初は仕事をつくることを必死で行いました。

こんな感じで、駆け出しの頃は仕事をつくっていましたが、その中でどういうものが今後世の中に必要かという筋道がだんだん見えてきて、一つの大きなサービスをつくることになりました。

 

 

「人とのつながり」を届けるサービスの誕生。

それが、「結婚式を、贈ろう」というサービスです。実は日本の方は、役所に入籍届を出した後、2組に1組しか結婚式を挙げていなくて、半分のカップルはそのまま夫婦生活がスタートして一生結婚式をしていない。それを知った時、私は結構衝撃で、「絶対やったほうがいいのにな」と思ったんです。

事実、結婚式を挙げていないご夫婦の周りの友人が「あの子のウエディングドレス姿見たかったな」とか、ご両親が「一緒にバージンロード歩きたかったな」とか思っていたりするんです。そこに着目し、周りの人からお金を集めて、結婚式をプレゼントできる、というサービスをつくりました。結婚式という場自体が素敵な場なので、そこで一段、人と人とのつながりが深まるな、と。

このサービスはいろんな世代の方にご利用いただきました。娘さんが、結婚式を挙げたくても挙げていなかった結婚30年のご両親にプレゼントしたり、戦争のせいで結婚式ができなかった92歳のおばあちゃんの話を孫が聞いて、おじいちゃんおばあちゃんに贈ったり、出産の都合で結婚式を挙げていなかったカップルへ、友人が贈ったり。結婚50周年の金婚式のタイミングで、家族がおじいちゃんおばあちゃんになにかしてあげたいと思い、伊豆温泉旅行に行った時にサプライズで発表して結婚式を実施し、大喜びしてもらったりもしました。

こんな風にいろんな方々の結婚式をプロデュースして、ほかにもサービスをやりながら、ちょっとずつ売上が上がり始めて。途中いろんな失敗もあったのですが、自分がやりたいことだったので、とっても楽しくやっていました。

そのタイミングで、私の妊娠が発覚したんです。できちゃった結婚だったんですけれど、会社もうまく行っているし、赤ちゃんもできて結婚もする。仕事でお世話になっている結婚式場の担当者さんから「うちで挙げてくださいよ」と言って頂いて予約して、超順風満帆!みたいな感じだったんですけれど、ここで大事件が起こります。

 

 

▶︎おくりもの写真展公式HP
https://photo.hamorn.com/

▶︎ハモン公式HP
https://hamorn.com/

 

▶︎講演動画はこちらから!

〜つづきは後編へ〜

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